2024年3月9日 寄附講座でメンバーの吉田菊次郎さんが講演
2024年3月29日

2024年3月9日(土曜日)連合駿台会の寄付講座がグローバルフロントのホールにて開催されました。100名を超える聴視者を前に、講師は連合駿台会 会員である株式会社プールミッシュ代表取締役会長 吉田菊次郎先生がパティシエの正装であるシェフ姿で登場して「人はお菓子に夢をみる」甘味文化について講演されました。講演後大勢の方から拍手をいただき大好評でありました。

【私の履歴書】

 

生家である菓子店を幼少時より手伝い、今も製菓業を営んでいるが、当時は職業の選択肢はなかった。1963年に明治大学商学部に入学するも、大学2年の時に家業が傾き、3年の折に倒産。当時の学園紛争のお陰?で卒業試験もないまま1967年に卒業だけはできた。その後都内の菓子店で修業し、お家再興の任を担って渡仏。パリの著名菓子店に飛び込み、幸運にも雇ってもらえた。通常は朝5時から、土日祭日は3時からこま鼠のように働き、いろいろなお菓子を習得させていただいた。ある程度認めてもらえた頃、パリで第一回のお菓子の世界大会が行われることを知り、ご主人に懇願してエントリーさせてもらった。日本らしくと、見たこともない姫路城を、プラモデルや写真をもとに作って出品したところ、幸運にも銅メダルを頂き、これで何とか日本に帰ることが出来ると思った。厚かましくもシャンゼリゼにあるJALのオフィスを訪ね、ことの次第を説明すると、支店長のご好意でその作品と賞状、メダル等をショーウインドウに飾って頂け、天にも昇る気持ちとなった。もっと精進せよとの啓示かと、あめ細工の名人に師事し、次いでチョコレート類を習得せんとスイスに向かった。帰国後、東京・渋谷に大きな借金を背負ってブールミッシュなる小さなお店を開き、わずか5坪の工場からスタートを切った。1995年のこと、バレンタイン用に100万粒のチョコレートを用意したが、1月17日朝、阪神淡路大震災が起こり作った製品の行き所がなくなってしまった。「倒産」が頭をよぎった時、スタッフが、どうせ処分するならこれをチョコレートケーキの中に丸ごと埋め込んで、お客様にサービスしちゃったらどうでしょうと提案してくれた。焼くと溶けてしまいチョコレートは跡形もなくなるが、何度もトライし、何とか形を残せるものができた。チョコレートの本場のベルギーでの「モンドセレクション」というコンテストに出品したところ、25回連続特別金賞を受賞し、今に至るも当社の看板商品となっている。本当に困った時に神様は助けてくれることを知った。

 

【お菓子の歳時記】

 

〇日本では1月1日から新年が始まるが、キリスト教をバックボーンとするヨーロッパでは、お菓子の一年はクリスマスから始まる。この時季は想像を超える忙しさだが、お菓子の本場とされるフランスでは、14歳から入ってくる見習いの子たちも一緒になって汗まみれになっている。労働力を提供し、その代償として代価を得るというマニュファクチャーの国であることを実感した。

 

〇1月。日本では、「お年賀」としてお菓子が重宝に使われる。また「成人式」にはデコレーションケーキが食卓を賑わす。お菓子はコミュニケーションのツールである。

 

〇2月。日本では「節分」だが、フランスでは2月2日に「聖燭祭」が行われ、左手に金貨を持ち右手でクレ-プを高く放り上げ、うまく元に戻せたらその年はお金に困らないという遊びがある。日本では「バレンタイン」で、チョコレート一色に染まる。

 

〇3月。「ひな祭り」がある。和菓子界では雛菓子が、洋菓子界ではお雛様のデコレーションケーキが求められる。また昨今はバレンタインのお返しの日として「ホワイトデー」が大きな催事となり、バレンタインのほぼ倍のマーケットになってきた。世の男性が義理を果たし始めてきたことが分かる。

 

〇4月。フランスでは「4月の魚」という催事があり、魚形のチョコレートを贈り合う。意味は色々あるが、水の底にいた魚も浮かれて浮いてくるという春到来の催事である。

 

〇5月。1日は「すずらん祭り」で、すずらんの鉢植えを象ったケーキがショーウインドウに並ぶ。また5日は「子供の日」で、お菓子が必需品となる。

 

〇6月。この月は「ジューンブライド」でウエディングケーキや披露宴での引き菓子を受け持つお菓子屋は大忙しとなる。

 

〇7月。日本においては「お中元」で、ゼリーや焼き菓子が主役に躍り出る。

 

〇8月。「帰省のお土産」市場が大賑わいとなる。

 

〇9月。「菊祭り」においては、菊型の最中などがもてはやされ。フランスあたりでは「葡萄の収穫感謝祭」が盛大に行われ、そうしたものの産地では、ぶどうやワインにちなんだお菓子がショーウインドウに並ぶ。

 

〇10月。31日は「ハロウイーン」で、くり抜いたかぼちゃを被ってお化けごっこなどをするが、くり抜いた中身をもってパンプキンパイやパンプキンムースなどが作られる。

 

〇11月。七五三では雛菓子やショートケーキがもてはやされる。

 

〇12月。一年のうちの最大のイベントである「お歳暮商戦」が始まる。百貨店のギフトセンターなどでは、和洋を問わぬお菓子が主役を演じる。また後半は「クリスマス」需要を満たすべく、お菓子屋さんにとっては超繁忙期となるクリスマスが終  わると、「年末年始商戦」となり、消費活動はさらに活発になる。

 

【お菓子の流行】

 

〇1981年、ミッテラン政権誕生に伴って、労働時間の短縮が進められた。お菓子の世界ではショックフリーザーの活用に活路を求め、少量多品種から大量少品種へと舵を切り、結果、凍結してもすぐに溶解する「ムース」類が世を席捲していった。

 

〇1990年台に入ると、年ごとに流行のお菓子が現れてくる。フランス菓子に風穴を開ける如くに、90年にはイタリアの「ティラミス」が流行り、91年には一度フランスにもどって「クレームブリュレ」、92年はアメリカ映画から「チェリーパイ」が、93年はフィリピンに飛んで「ナタデココ」、再びイタリアから「パンナコッタ」。94年はアメリカから「シフォンケーキ」、95年は香港の中国への返還から香港に目が行き、そこにあった「マンゴープリン」に注目が集まった。96年はフランスに戻るがパリだけではないと、ボルドー地方から「カヌレ・ド・ボルドー」、97年「ベルギーワッフル」、98年フランスのブルターニュ地方から「クイニーアマン」と「ファーブルトン」、99年はマカオが中国に返還されるにあたり、そこで親しまれていたポルトガルの銘菓「エッグタルト」が市場を賑わしていく。お菓子といえども、政治経済と無縁でないことが分かる。

 

【被災に当たってのお菓子の持つレゾンデートル】

 

人は甘い物が口に入ると心身ともに安らぐという、主食とは別のお菓子の持つ効果がある。また、災害や戦争での避難民の心の支えとして、お菓子は最適なものといえる。私共ブールミッシュの災害時における支援活動

 

〇東日本大震災では、マドレーヌやフィナンシエといった日持ちのする焼き菓子を102万個用意し、被災地にお配りした。「お菓子だってー」の一言で体育館中の空気が軽くなる。

 

〇その後の熊本地震でも、現地のお菓子屋と連携して、ブルーテントに避難されている方々に私どものお菓子をお配りさせていただいた。

 

〇熱海の地滑りにおいても同様で、現地でカフェを営まれているクラスメートと連携で、お菓子をお配りさせていただいた。

 

〇ウクライナからの避難民の方々は現在日本には2500名ほどおられるが、その方々の結婚式におけるお手伝いとして、ウエディングケーキの製作を行ったり、また3カ月ごとに行う合同バースデーにおいてバースデーケーキをプレゼントさせて頂いている。

 

〇能登、北陸大震災においては、未だ奥能登の被災地には入ることが困難であるため、現地のパティシエと連携して、今お配りできる避難所に支援活動を行っている。そうした被災地での自衛隊員の方々の活躍には、正直頭が下がる。
 私どもにおいても、今後とも自らの生業を通してできる限りの手を差し伸べていきたいと思っている。

 

(伊原敏雄大学支援委員長=1974年法卒)